四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記

四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記

福島県在住のアラフォーど素人初心者の手による週末農業(野菜・ハーブ育成)の様子を始め,県内(及び隣接県)の温泉,日本酒,釣り紀行,各種写真(野鳥,風景,猫等々)等,名産品や見所をゆるくご紹介するブログです。

岳温泉(概要・福島県二本松市)

こんにちは、四十雀です。

今回は、岳温泉のご紹介をいたします。

岳温泉二本松市の郊外、安達太良山の中腹にある温泉郷です。
なお、安達太良山は、彫刻家、また詩人でもある高村光太郎の作品「智恵子抄」に詠われた山としても有名です(光太郎の妻、智恵子は二本松市出身です。)。

岳温泉の歴史は古く、また、いくつかの大きな変遷がありました。
まず、温泉を発見したのは、蝦夷討伐で有名な坂上田村麻呂と言われています。坂上田村麻呂平安京より出征したのは延暦20年(801年)のこととされています。

そこから大分時代が下りますが、二本松を大名である丹羽氏が統治していた江戸時代、「湯日温泉」(「元岳温泉」とも)が温泉街として整備され、当時湯女(ゆな)が100人も置かれていたといいます(なお、当時の温泉は、現在の岳温泉と場所が違い、もう少し安達太良山沿いとのことです。)。

しかし、文政7年(1824年)、突如山津波が発生、一瞬にして湯日温泉街が壊滅します。
そこで、山津波の翌年、二本松藩は湯日温泉から約6Km下の平地に、新たに「十文字岳温泉」という温泉街を整備しました。

ところが、この十文字岳温泉は整備から約40数年後の慶応4年(1868年)、戊辰戦争の戦火で焼失したため、明治3年(1870年)、現在の岳温泉の南西部付近に「深掘温泉」と名付けた、小さな旅館と共同浴場を作りましたが、この温泉も明治30年1893年)、旅館からの失火により温泉街が三度壊滅してしまいます。

このように、幾度の災難を経た温泉街ですが、明治39年1906年)、現在の岳温泉を築き上げ、現在に至るようになりました。

つまり、温泉発見後、湯日温泉(元岳温泉)→十文字岳

→深堀温泉→岳温泉、という変遷を辿っていることになります。

なお、現在、源泉は安達太良山から約8Kmの距離を引湯管を使い供給をしています。

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温泉街にある交差点の様子です。お土産物屋さんや食堂などがあるほか、登りきると岳温泉神社が鎮座しています。


岳温泉は雰囲気的に二本松市奥座敷、と言った雰囲気のある場所だと思います。日帰り温泉も少なくなく、気軽に立ち寄りお風呂を楽しむことが可能な温泉街です。

特に、安達太良山登山の帰り道に寄り、流した汗を流すととても気持ちいいと思います。

ぜひ一度、お試しの程を。