こんにちは,四十雀です。
今回は,郡山市に伝わる「虎丸長者」ゆかりの場所等についてご紹介したいと思います。
虎丸長者に関する伝承は,次のようなものです。
昔,この地に虎丸長者と呼ばれる金持ちいました。
長者は郡山のあちこちに屋敷を構えていて,上台という場所にある舘のほかに,方八丁という所に別邸を構えていたほか,力持という場所には米蔵を置き,皿沼という沼では下女に皿を洗わせていたといいます。
長者はある時,都にのぼり帝に拝謁,その際,馬頭観音を賜ったので,これを守り本尊として氏寺の境内に観音堂を建て,ここから都に通ずる道を作り牛道と称したといいます。
このように,大きな権勢を誇った虎丸長者でしたが,ある時,奥州征伐に遠征をしていた源義家の兵糧の援助を断ったがため,義家に館に火をかけられてしまいました。この際,長者は,金銀財宝を地下に埋め,いずこかに逃れたといいます。
よく昔話にありそうな話ですが,この虎丸長者の館跡であとではないか,と言われているのが,市内の「芳山公園」で発見された「清水台遺跡」です。
清芳山公園の様子です。市街地にある緑地公園です。
同公園にある,清水台遺跡に関する説明版です。地図の赤線部分が清水台遺跡に関する範囲であり,相当広いことが伺えます。
さて,この清水台遺跡ですが,実のところ,虎丸長者という人物の建物跡ではありません。
実は,「郡衙」と呼ばれる古代のお役所跡地で,「陸奥国安積郡」に置かれた郡衙と考えられています。
郡衙には,税の米を納める正倉やお役人である郡司が政務を行う郡庁,官舎である舘のほか工房も置かれていたといいます。
そしてそれは,地元の人間から見れば,大きな権勢を持つ「長者」のような姿に映ったのではないでしょうか。
清水台遺跡からそう遠くない場所にある如法寺です。上記のとおり,大同2年(807年)に,虎丸長者が観音堂を建立したことに始まる古刹で,写真にある鐘は,表面に「いぼ」のない珍しい鐘となっています。
また,上記のとおり,下女が皿を洗ったとされる皿沼は現在は無く,郡山商工会議所附近に存在したと言われています。
郡山商工会議所もまた,清水台遺跡の近くに存在しています。
福島県内で随一の,また,東北でも有数の商都として発展した郡山市には,残念ながら虎丸長者に関する史跡というものは,あまり多く残ってはいません。
それでも,上記のような場所や,「虎丸」という地名がかろうじて存在しています。
さすがに埋蔵金伝説はまゆつばもの(似たような話は全国各地に存在しています。)と思われますが,古代,この地に何があったのか,とても興味深いところかと思います。
参考資料
郡山の歴史(郡山市発行)
福島の伝説(角川書店)
その他