こんにちは,四十雀です。
まず,この写真をご覧ください。
これは,私の実家がある集落のはずれにある物で,一見墓石のようにも見えます。
しかし,表面(若干見えづらいですが。)には,「二十三夜」と彫られており,墓石ではないことが分かります。
実は,似たような石碑は,比較的色々な場所で見られることができます。
こちらは郡山市内にある如宝寺に置かれた「二十三夜」,「十九夜」と彫られた石碑です。
こちらは郡山市日和田町にある蛇骨地蔵堂に置かれた石碑です。
この石碑,果たして何かといいますと,「月待行事」という,「特定の月齢の夜に集まり行われた講(法会の一種)の供養の記念として建てられた塔(月待塔とも)」で,講の名称も,その月齢に応じ,例えば「十九夜講」,「二十三夜講」と呼ばれていたようです。
この月待行事,室町時代頃から確認され,江戸時代に全国的に流行したとのことで,上記のとおり,特定の月齢の夜に「講中」と称する仲間が集まり,飲食を供にしたあと,お経や和讃を唱えて月を拝んだり,悪霊を追い払うという,いわば宗教行事をしていたとのことです。
私の実家がある集落のはずれにある月待塔を説明する看板文です。
なお,集まる月齢というのは実に様々なようで,上記のとおり,私の身近では,十九夜,二十三夜は確認できましたが,十三夜~十八夜,二十夜~二十二夜,二十六夜等,地域によりさまざまな月齢の講中があるようです。
また,これも地域により違うようですが,十九夜講(十九夜様)や二十三夜講(二十三夜様)は安産,子育ての仏様の仏様なので,女性達のみで講中を形成し宿に集まり夜を明かしたとのことです。
今では月待塔が僅かに残るのみで,実際に上記のような講が行われているかは定かではありませんが,かつてはこのような民間信仰が存在したという貴重な史跡と言えると思います。
参考資料
石城北神谷誌(雄峰舎)
その他