四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記

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福島県在住のアラフォーど素人初心者の手による週末農業(野菜・ハーブ育成)の様子を始め,県内(及び隣接県)の温泉,日本酒,釣り紀行,各種写真(野鳥,風景,猫等々)等,名産品や見所をゆるくご紹介するブログです。

歴史・伝承探訪(小倉沢の埋蔵金・福島県郡山市)

こんにちは,四十雀です。

今回は,郡山市湖南町に伝わる小倉沢の埋蔵金伝説についてご紹介したいと思います。

郡山市から郡山湖南線(県道6号線)を利用し,三森トンネルを抜けた道の傍らに,次のような看板があります。

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これは,湖南町に伝わる民話について,縁がある場所を地図化したものですが,この地図の左上の方をよく見ますと,「小倉沢の埋蔵金」という記載があり,さらに,看板附近には「埋蔵金のなぞ」と書かれた案内板や埋蔵金をモチーフとした置物があります。

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郡山市観光案内所さんのHPにあった,もっと見やすい案内図です。

この看板を見るまで,湖南町にこのような埋蔵金伝説があることを私は知りませんでした。
そこで,少し調べてみたところ,この小倉沢一帯は蒲生氏が会津を治めていた頃,盛んに掘られていた金鉱があり,その金の一部を鉱夫が町内にある小倉神社の境内に埋めたという言い伝えがあるとのことです。

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郡山市内の地図より。小倉沢はこの辺りです。

確かに,会津地方は蘆名氏や蒲生氏の時代,多くの金山が開発された歴史があります。もしかすると,鉱夫がちょろまかした金を見つからないようにするため,神社の境内に隠した・・・なんてことはあるかも知れません。

なお,小倉神社がいつ建立されたものか,残念ながら分からないのですが,実はこの地には「小倉城」と呼ばれる城(舘)が存在していました。
城主は伊東(伊藤)氏で,安積郡を治めていた伊東氏の一門衆であり,湖南周辺を統治していました。

ただ,この伊東氏,時期は不明ながら蘆名氏に臣従していたようで,天正16年(1588年)に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼすと,時の当主伊東盛恒は主君蘆名義広とともに常陸国へ落ち延びます。

その後,理由はよく分かりませんが,蒲生氏に仕えていたのか,天正18年(1590年)に発生した陸前大崎の戦いに蒲生氏の先鋒として出陣,討ち死を遂げ,この伊東氏の家系は断絶し,小倉城もまた廃城となったとのことです。

また,蒲生氏の当主蒲生氏郷は文禄4年(1595年)に死去し,跡を継いだ蒲生秀行は慶長3年(1598年)に家中不和を理由に宇都宮へ減封されますが,慶長6年(1601年)に再び蒲生氏が会津に入部,寛永4年(1627年)まで蒲生氏が会津を統治します。
この26年間が会津領内の産金が全盛期で,約280万両の採掘がされたとのことです。

もしかするとこの26年間の間に,鉱夫がちょろまかした金(精錬前の金鉱石でしょうか。)を小倉神社境内に埋め,それが今も人知れずこの地に残っているのかも知れません。