こんにちは,四十雀です。
今回は,東白川郡矢祭町にある東館についてのご紹介をいたします。
東館は現在の矢祭町役場北東部,国道118号線をさらに登った丘陵地帯に築かれた城で,現在は山村開発センターや公園などが整備されています。
現在の周辺の様子です。この日,生憎の雨であまり写真は撮影できず,現在も遺構が残るかどうか等の調査はできませんでした(なお,周辺地名としては「東館」の名は残ります。)。
東館は南北朝時代,白川氏(白河氏,白河結城氏とも。現在の白河市周辺が拠点)の庶子である山野井氏が築いたとされ,隣接する常陸国(現在の茨城県)の佐竹氏に備えるための最前線でした。
南北朝時代から室町時代を巧みに生き残った白川氏ですが,戦国時代になると徐々に衰退し佐竹氏の侵攻を許すようになります。
当然,対佐竹氏との最前線である東館もその影響を受けないはずはなく,天文年間(1532年~1555年)には白川氏の家臣である斑目氏が城代を努めていたといいますが,天文10年(1541年)に岩城重隆(現在のいわき地方の領主)の仲介により,東館の破却を条件に,白川氏と佐竹氏の講和が成立したといいます。
ただ,その後,佐竹氏により再整備され,南郷(今の東白川郡一帯がその範囲だと思います。)進出の拠点とされたいいます。
その後,東館がいつの時代に廃城とされたかは不明です(恐らく,佐竹氏が出羽国秋田に転封した慶長7年(1602年)頃のことなのかも知れません。)。
参考資料
ふくしま紀行 城と館(福島民報社)