こんにちは、四十雀です。
今回は、耶麻郡磐梯町にある慧日寺についてのご紹介をいたします。
慧日寺は、磐梯町にある「道の駅ばんだい」近く、同町を通る県道7号線を少し北に入った場所にある寺院の遺構です。
慧日寺跡に設置されている看板です。
慧日寺は平安時代初期、大同2年(807年)に法相宗の僧・徳一により開基された寺です。
磐梯山慧日寺資料館に置かれていた、徳一に関する事項を記載したシートです。
徳一は奈良時代から平安時代に活躍した僧侶で、天台宗を開いた最澄と「三一権実諍論」を繰り広げたり、真言宗を開いた空海に「真言宗未決文」を送付するなどの事跡が残る高僧です。
再び磐梯山慧日寺資料館に置かれていたシートで、徳一が開いたとされる寺院の一覧です。
現在の慧日寺跡に残る復元物の数々です。
慧日寺は徳一が死去した頃(承和9年(842年))には寺僧300、僧兵数千、子院3800を数える程の隆盛を誇っていたといいます。一地方の寺としてはかなりの規模であったと思われます。
しかし、天正17年(1589年)、伊達政宗が会津へ侵入した際戦火に巻き込まれ、金堂を残し伽藍や門前町等、全て焼失したといいます。
そして、かろうじて残った金堂もまた、寛永3年(1626年)に消失、その後再建はされたものの、かつての大伽藍には程遠い規模で、最後は明治2年(1869年)の廃仏毀釈により廃寺となりました。
かつて、会津という一地方都市に、最澄や空海と論争を繰り広げた高僧がおり、しかも大規模な寺院が存在していたことはあまり知られていない話ですが、ぜひ、往時の隆盛を偲びながら、同地を訪れてみてはいかがでしょうか。