こんにちは、四十雀です。
今回は、耶麻郡猪苗代町にある「おんば様」のご紹介をいたします。
「おんば様」と言ってもなかなか馴染みのない名称かも知れませんが、これは江戸時代以前より全国的に広く信仰されていた老婆像で、安産祈願や結界の役割を果たしているとのことです。
なお、「おんば様」というのはあくまで一般的な呼び名で、①奪衣婆、➁橋姫、③姥権現、④姥神などが祀られているのですが、それらを単にひとくくりに「おんば様」と呼んでいるのが実態だそうです。
※おんば様については、「歴史春秋社」さんで出版されている「歴春ブックレット24 おんば様」に詳しく書かれています。興味のある方はぜひこの本を一読ください。
さて、今回、前々からその存在は知っていましたが、見たことはなかった、耶麻郡猪苗代町の関都という場所にあるおんば様、正式には「関脇優婆夷堂(せきわけうばいどう)」を訪れてみました。「前から知っていた。」というのは、このお堂がある場所が丁度猪苗代町へ抜ける裏道で、何度か通行したことがあるからです。
目の前を通る県道322号線には写真のような看板が設置されています。
由緒が書かれた看板も設置されています。
かいつまんで内容を説明しますと、創建年代は不明ながら、この地の城主・関氏が中年になっても子が出来ず、鎮守麓山神社に祈願してようやく妻が身ごもったが難産となった。
その際、どこからともなく一老婦が現れ、読経呪文を唱えると無事男子が出産できた。その男子は長じて藤原重郷と名乗り、安産守護の菩提の道を行じようと多留良橋のほとりに茅舎を建て御像を祀った。そして、宝永年間(1700~1708年)に現在の地に遷った、とのことです。
お堂があります。折角なので近くに行こうと思ったところ・・・中には人が。
どうやら地元の方々がお参りをしていたようで、さすがにご迷惑になるのも悪いと思い、ここで退散いたしました。
しかしながら、まだまだ信仰は続いていることがよく分かりました。
さて、上記「歴春ブックレット24 おんば様」によれば、この関都の関脇優婆夷堂は会津地方でも最もよく知られた安産信仰の拠点で、会津地方の安産信仰のおんば様は、ここから伝播したものが多くあるとのことです。
この関都の関脇優婆夷堂では、参拝者に麻糸としゃもじをくれる(麻糸は「力糸」とも言い、お産が軽くなるそうです。)、子供が出来ない場合には人形を借り受けると子供が授かると言われていたといいます。
また、乳が出ないときには豆入りのおはじきを借り受けると乳が出るようになると言われていたといいます。
そして、関都の関脇優婆夷堂に行き、安産、出産そして乳が出た際には、お礼参りを行い、借りた物を二倍にして返すという習わしがあったそうです。
県内、特に会津地方を中心に、この関都の関都の関脇優婆夷堂以外にも、まだまだおんば様は信仰として残っているようで、機会があれば現地を訪れ、ご紹介できればと考えています。