こんにちは、四十雀です。
今回は,茨城県常陸大宮市にある檜沢城についてのご紹介をいたします。
・・・と,言いましても,このお城,我々が意図して訪れたというより,たまたま帰宅途中通りかかったルートにその看板があったので初めて存在を知った城,となります(そもそも福島県以外の城にあまり詳しくはありませんので笑)。
設置されていた看板です。
ちょっと字が細かく読みづらいですが,要約すると次のようなことが書かれています。
鎌倉時代に,佐竹義胤(常陸佐竹氏7代目当主)の五男・景義が高部氏を名乗り,さらにこの景義の次男・成義が檜沢に入部・檜沢氏となります(ちなみに義胤という人物は,福島県いわき地方まで勢力下にしていたようです。)。
ただ,15世紀に発生した佐竹の乱(佐竹宗家とその庶流山入佐竹家での争い)において,檜沢氏は没落,代わって小室氏が檜沢城主になったと考えられているとのことです。
小室氏は佐竹義盛(常陸佐竹氏11代目当主)の弟・義有の次男・宗胤を祖先としているようで,まぁ佐竹氏の家系の者が入れ替わった感じですかね(もっとも,小室氏の出身の詳細は分かっていないようですが。)。
この檜沢城を巡る戦いとしては,明応9年,小室氏が佐竹義舜に味方して同城に籠城,そこに山入佐竹氏が攻め込み落城したとされています。
以降,この地には高部氏(没落した檜沢氏)や小室氏らを中心とする「檜沢衆」が編成,佐竹氏が慶長7年(1602年)に秋田へ転封されるまで同地に駐屯しました。
檜沢城の遠景です。
険峻な山間にある典型的な山城である同城は防備に適していた他,その下を通る街道の支配に適していたと思われます。