こんにちは、四十雀です。
今回は、耶麻郡猪苗代町にある猪苗代城についてのご紹介をいたします。
別名「亀ヶ城」とも呼ばれる猪苗代城は、猪苗代町中の比高約30mの舌状台地の上にある平山城で,幕末までは建物が存在していました。
ちなみに,その建物には,「亀姫」と呼ばれる妖怪が棲んでいたそうです(この亀姫,姫路城に棲んでいたという「長壁姫」の妹なのだとか。)。
だから別名,亀ヶ城・・・?
猪苗代城(亀ヶ城)は現在、城址公園として整備されています。
猪苗代城の歴史については諸説あるとされているそうです。
一応,通説っぽいのが,佐原経連(猪苗代氏初代)が建久2年(1191年)に築城されたというもの(ただ,この話に確証はなく,経連が猪苗代後を拝領したのは宝治2年(1248年)ともされています。)。
なお、歴史史料上、猪苗代氏を確認できるのは貞和4年(1348年)とのことであり、この頃には猪苗代城の前身となる城が存在していたのではないでしょうか。
さて、猪苗代氏は会津の地を治めた蘆名氏の同族とされています。
ただ、猪苗代氏は独立性が強い傾向があり、しばしば蘆名氏と争い、これが蘆名氏の滅亡の一因となります。
天正16年(1585年)、隠居中の猪苗代盛国が嫡子盛胤が不在の最中、猪苗代城を乗っ取り伊達政宗に内応してしまいます。
盛国は伊達方、盛胤は蘆名方として同年の磨上原で争いましたが結果、伊達方が勝利し、蘆名氏は滅亡することになるです。
この勝利により、一時伊達氏が統治した猪苗代の地は、その後政権の変動により蒲生氏→上杉氏→蒲生氏→加藤氏と領主が変遷、最終的に保科氏(松平氏)が統治、その間、城代が置かれることになります。
その後の元和元年(1615年)、江戸幕府は一国一城令、つまり、居城以外の城の破却を命じていますが、猪苗代城は会津領の重要拠点として存続が認められていました。
猪苗代城には立派な石垣が現存しています。
また、釣鐘や井戸などが残されています。
現在の本丸跡地付近です。
猪苗代城は慶応4年(1686年)の戊辰戦争時、西軍(新政府軍)が母成峠を突破したことを知った城代高橋権太夫は、防御に不利として城と藩祖保科正之を祀る土津神社に火を放ち撤退します。
そのため、残念ながら建物等の遺構はありませんが、郭や土塁、空堀等の遺構は現存しています。
また、猪苗代町出身の偉人として有名な野口英世の頭像が置かれています。
比較的アクセスしやすい場所にある猪苗代城、興味のある方はぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょうか。