四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記

四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記

福島県在住のアラフォーど素人初心者の手による週末農業(野菜・ハーブ育成)の様子を始め,県内(及び隣接県)の温泉,日本酒,釣り紀行,各種写真(野鳥,風景,猫等々)等,名産品や見所をゆるくご紹介するブログです。

四十雀の独り言(東日本大震災から10年の話)

 こんにちは,四十雀です。

 今回は,東日本大震災から10年の話について,少しつぶやかせていただければと思います。

 平成23年(2011年)3月11日午後2時46分18.1秒,北緯38度06.2分,東経142度51.6分,深さ24Kmを震源とする,M9.0の大地震が発生しました。

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 当時,まだ独身だった私は,福島県東白川郡棚倉町に居住していました。

 地震発生時,丁度営業所の中庭を見ていたところ,突然大量のスズメが飛び立つのを見て,「何事か!?」と思った瞬間,大きな揺れが襲ってきたことを鮮明に記憶しています。

 そして,その後の出来事について,当時の記憶を思い出してみますと・・・。

 この地震では,棚倉町では震度6弱を観測,同町での被害としては半壊1戸,塀の倒壊・屋根瓦の落下等549ヶ所,県道や町道,JR水郡線が一時通行止め/運休となる,というものでした。

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 また,地震発生直後,町内は停電になりましたが,午後5時過ぎ位までには復旧しました(その他のライフラインは問題なかったと思います。)。

 幸い,当時住んでいた家について,これと言った被害はなく,その日は自棄酒をかっくらい寝てしまった私ですが,次の日から,次のような困難が待ち受けておりました。

1 ガソリンが入手できない

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 地震発生翌日,実家の様子を見に行くため,朝一でガソリンを満タンにしたのですが,逆に,満タンに出来たのが幸いで,その日以後,数週間,ガソリンを入手することはできませんでした。

 ・・・しかし,棚倉町茨城県に近い町でしたが,明らかに越境してまでガソリンを求めに来る人がいたのには驚いたものです。

2 職場に誰も来ない

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 当時,私は従業員4人の営業所に勤めていました。
 このうち,1人は郡山市から車での通勤者でしたが,上記1のガソリン不足により通勤ができないことに。

 また,もう1人は,地震発生後,実家のある宮城県栗原市に様子を見に戻ったところ,やはりガソリン不足で当面帰れないことに。

 最後の1人も,白河市に在住の者ということで,当初棚倉町に来ることはできず,とは言え,営業所は閉めるな,という上からのアホな指示のため,しばらくの間,私一人が営業所にいて待機する,というよく分からない状態となりました。

3 インスタントラーメンがない

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 あれだけ巨大な地震が来た,ということは,まだ余震があるかも知れない・・・そう考えた私は,とりあえずインスタントラーメンでも買っておくか,そう考えましたが・・・。

 こういう時,皆,考えることは同じのようで,地元のスーパーからはあっという間にインスタントラーメンが消えうせておりました。

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 ただ,意外なことに,乾麺のそば・うどんは品切れにはなっていなかったんですよね。

 インスタントラーメンに比べたらそりゃ手間ですが,とは言えそれ程手間でもないのになぜ・・・今でも不思議に思っています。

 他にも様々な困難・苦労がありましたが・・・あれからもう,10年経過ですか・・・月日が経つのは早いものです。

 今年は「復興」とやらをうたい文句にした東京五輪が開催される・・・らしいですが,復興ですか・・・。

 福島県内においても,特に原発事故で被害を受けた双葉郡において,復興事業が進んでおり,スーパーなど商業施設も完成しております。

 反面,震災前に双葉郡に住んでいて,震災後避難した住民のうち,今後「戻りたい」と希望する住民はそれ程多くない,という現状があります。

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 復興庁・福島県双葉郡大熊町が実施した,帰町調査意向についてです(抜粋)。
 全体の6割が,大熊町に戻る意向はないとのことです。

www.asahi.com


 案外知られていないのですが,震災後,予算を投じて増改築等した学校が,入校者数がいないため閉鎖という事例もあります。

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 常々思うのですが,原発事故から10年,果たしてどこまで復興させるのか,そもそも復興とは何か,明確なビジョンが示されておらず,単に政治家達が人気取りのため,「復興」という旗を振っているように感じるは私だけでしょうか。

 基本,あまり政治的な話や世俗的な話にはブログでは触れたくないので,この話はここまでとしたいところですが・・・最後に一つ。

 時代やその背景,規模が違うとはいえ,太平洋戦争終結後(昭和20年(1945年))の復興でさえ,昭和31年(1956年)頃には「もはや戦後ではない」というレベルに達したとのことです。

 東日本大震災の復興も,いち早く終了することを願うばかりです。

(令和3年3月11日)