こんにちは、四十雀です。
今回は、郡山市にある采女神社についてのご紹介をいたします。
さて、郡山市には「うねめまつり」や「うねめ通り」など、「うねめ(采女)」にちなむ名称がありますが、それは、同地に「采女伝説」という話があるからです。
采女とは古来、地方豪族等の娘や妹等の女性が一定の任期(3年乃至5年)の間都に上がり、天皇の身の回りの世話をする女性を指す言葉です。
時は聖武天皇(在位724~749年)の御代、安積の地に按察使(地方の政治の実況を調査する者)として葛城王が派遣されました。
葛城王は安積郡司の接待を受けましたが、当時、この地方が凶作で年貢が滞り気味という事情もあり、終始葛城王の機嫌は良くありませんでした。
そこに、郡司の娘である采女の経験のある姉の浅香姫と妹の春姫が葛城王の前に進み、
「安積山 影さえ見る 山の井の 浅き心を わが思わなくに」
と歌を一首読みました。これは、
「私達は、あの安積山の影を映している山の井の清水池のように清らかで、親しみを持ちお迎えしています。」
という意味で、この歌により接待を受けた葛城王もやがて上機嫌になりました。
ただ、問題の年貢の話となると、葛城王は事情は理解したものの、免除する条件として、春姫を献上するよう言いました。
実は、春姫には許嫁がいたのですが、里を救うため自分が犠牲になる決心をし、都に上がる決意をしました。
春姫は都で采女として仕えましたが、里に残された許嫁はひどく憔悴してしまいます。
そこで、願いを込めれば願った人の顔が写るという「山の井の清水池」の水面を見ますと、果たして春姫の姿が写るのですが、その姿は心なしか嬉しそうに見えます。
これを見た許嫁は、春姫は帝の傍に仕え、もう戻らないのだろうと思いこみ激しく絶望、ついには山の井の清水池に身を投げて死んでしまいました。
その頃の春姫は許婚の悲劇など知らず、都で采女の生活に慣れはしたものの、心ここにあらず、やがて里へ脱走する計画を立て実行に移します。
そして、苦労の末に里にたどり着きますが、そこで聞いたのは許嫁の死という悲しい事実でした。
落胆した春姫は山の井の清水池へ向かい、水面を覗くとそこには許嫁の姿が見えます。そして、春姫は躊躇なく池に身を投じた・・・というのが、かなりざっくりした話の概要です(なお、話により、許嫁ではなく夫など、設定の細部に違いがあるようです。)。
なお、この采女伝説の原典は万葉集に載っている「前の采女」という歌とのことです。
具体的には、
「葛城王 陸奥に発きし時 祇承緩怠なりしかば 王の意悦びざりしに 采女觴を捧げて詠める歌一首
安積山 影さえ見る 山の井の 浅き心を わが思わなくに」
というものです。
ところで余談ですが、この葛城王とは後に臣籍降下して橘諸兄に名を変えた人物の初名です。
橘諸兄は日本史上6人しかいない生前に正一位の官位に叙された稀有な人物で、天平8年(736年)に臣籍降下しています。
このお話は時は聖武天皇(在位724~749年)の御代のことですので、単純に考えると、葛城王(橘諸兄)が安積の地に按察使として訪れたのは724年~736年(臣籍降下する前)の間のことになります。
ただし、葛城王が按察使に任じられた記録はないこと、そもそも721年に按察使の位は正五位上相当と定められているところ、724年の時点で葛城王は従四位下と按察使になるにはふさわしくない高い身分にある点、本当に安積の地を訪れたか,疑問が残るところです。
さて、少し脱線してしまいましたが、改めて春姫(采女)の話に戻りたいと思います。
上記のように悲劇の最後を遂げた春姫(采女)ですが、その伝説にまつわる史跡が郡山市片平町に「采女神社」として今に残ります。
こちらが采女神社の様子です(かなり大きなクモの巣があり、祠や看板の近くには行けませんでした・・・。)。
近くには「うねめ春姫の塚」と掘られた石碑が置かれています。
また、采女神社の近くには、春姫が身を投じたとされる山の井の清水池が残されています。
なお、采女神社周辺は現在「山の井公園」として整備されています。
自然豊かな場所で、バードウォッチング等には最適・・・ですが、この辺りは野生の熊が出る可能性があり、きちんとした装備の上散策した方が良い場所と思われます。
また、采女神社に至るまでの道のりに、「安積采女春姫姿見清水」なる清水があるのを見つけました(少し濁り気味で姿見が出来るかは不明ですが・・・。)。
ところで、この采女伝説に登場する「安積山」や「山の井の清水池」ですが、その舞台は、今回紹介した郡山市片平町であるという説(安積山は「額取山という山)と、郡山市日和田町であるという説があります。
sizyuukara-1979.hatenablog.com
一つの伝説に複数の説、また,ゆかりの地があるのは珍しい話ではないかと思います。
正直、どちらが正しいのか私には分かりかねますが、色々な説があることを踏まえながら、伝説に縁のある地を訪れるのもまた楽しい話だと思います。
興味がある方はぜひ一度、訪れてみてください。