こんにちは、四十雀です。
今回は、南会津郡南会津町にある久川城についてのご紹介をいたします。
久川城は、南会津郡南会津町(旧伊南村)を流れる伊南川西側にある小杖山(標高約632m)に、山城と侍屋敷が整備されていたとのことで、非常に壮大な城郭です。
福島県指定史跡だけあり、一目で分かる巨大な看板が設置されています。
そして、この看板の後ろにある山が小杖山で、ここが久川城となります。
久川城は会津の蘆名氏に仕える河原田氏が築いた城です。河原田氏は下野国の小山氏の出自で、会津・長沼・山内の各氏とともに会津四家と称された家柄です。
久川城址に設置された案内板です。
この看板からも、久川城の規模の大きさがよく分かるのではないでしょうか。現在も、土塁、空堀、石垣等の遺構が残されています。
久川城及びその周辺地域では、天正17年(1589年)から翌18年にかけ、会津の蘆名氏を滅ぼした伊達政宗と河原田氏の間で合戦が繰り広げられました。
この際、伊達勢は数千の兵で押し寄せ、鉄砲千丁を打ちかけたといいます。
正直なところ、静かでひなびたこの伊南の地で、それ程までの大規模な戦いが起きたとは信じられません。
そして、伊達政宗の攻略を退けた河原田氏ですが、豊臣秀吉の欧州仕置の際、支配地の安堵を受けることはできず、伊南の地を失うことになります。
その後、会津には蒲生氏→上杉氏→蒲生氏が入部しますが、2回目の蒲生氏支配の時代に久川城は廃城とされたといいます。
参考資料
福島県の中世城館跡(福島県教育委員会)
ふくしまの城(歴史春秋社)
ふくしま紀行 城と館(福島民報社)